「リトルベアー」シリーズ(リン・リードバンクス)

書いてまとめて残してたいことが色々あるのだけど、きちんとブログ記事にするという習慣が身についてないので、順不同で書けたら書く。

少し前に、前々から再読したいと思ってたリン・リードバンクスの「リトルベアー」シリーズを読んだ。1作目の原書1981年、日本語訳1990年、1995年。日本の読者として3部作だと思っていたけど、原書は5作あるらしい。

やはりプラスチックの人形が、戸棚に入れて鍵をかけると本物になる。というか、どこかで生きている本物の人間を人形サイズにして連れてきてしまう、という設定は面白い。人形サイズになってもそれは尊厳のある実際の人なのだ。
最初、主人公のオムリはリトルベアーのことを、自分の所持する人形の意味で「ぼくのインディアン」というけど、段々それが一人の人間だという重さもわかってくる。
オムリが9歳とか10歳とかの向こう見ずさで結構無茶なことをするので、大人としてはひやひやする(友人のパトリックは輪をかけて向こう見ずで大変)。
死の描き方などがビターなのはイギリスのファンタジーらしいなあという勝手なイメージ。でもそれなら、なぜイギリスなのに「インディアン」ものにしたんだろうなあ。

80年代原著でさすがにちょっと時代を感じる部分があるのと、「インディアン」を扱う作品なので、ここに至るまでいろいろ議論というか批判もあったらしい(小峰書店1995年版巻末には既に「インディアンというよび方について」という注意書きが付いていて、「このごろでは、誇りをもって自分たちをネイティブ・アメリカン(もとからいたアメリカ人)とよんでほしいと主張する人もいます。この本では、原書にしたがってインディアンということばをつかいました」とある)。
主人公のオムリはインディアンだからではなく、相手(人形)が誰であっても大人としてはちょっと待てよという行動をしてしまうことがある。だからオムリが「インディアン」を意識的に軽んじているわけではない…はずだ。でも問題は、それ以前の作品上の描写が正しくなかった場合だ。私含め読者は、何が正しくて何が間違っているのかわからないので、そのままそういうものかと思ってしまうだろう。イギリスで出た原書では「リトルブル」という名前だったのが、アメリカ版では編集者から、イロコイは牛に縁がないという指摘を受けて「リトルベア」にしたという話など、結構適当だったんだなあと感じた。
英語版ウィキペディアに少し記載があるけれど、やはり当事者の方が読んだときにバイアスがあると受け止められる内容はよくないな。

The Indian in the Cupboard - Wikipedia

あとは、3作目の武器の介入のあたりとか物語として倫理的にまずくないか…葛藤はあるけど現代の作品だったら多分こうはならないという無茶をしている。

でも人形が本物になってその尊厳がある設定、本当に好きなんですよね。仮に自分が人形ものの作品リストを作るとしたら入れたい。注意書き付けたりして…対象年齢にもよるけど…何とかならないだろうか。
ちなみに、同じ設定で日本の作品だったら、忍者の虚実に迫ったりしてほしい。

80年代かあ…と思ったけど、『ルドルフとイッパイアッテナ』も80年代後半(1986年)のスタートだから、改めて考えるとルドルフは普通に続編が出続けてるのすごい。2020年に出たノラねこブッチーをまだ読めてない。こちらも再読したい。