『金田一京助と日本語の近代』アイヌ研究とか規範的国語とか

昨年は9月からロングラン上映していた映画「福田村事件」を12月にやっと見に行ったのでそのことを書くつもりだったのですが、どうにもだめそうなので下書きに置いていた本の感想を上げていきます。

晦日から元日にかけて、『金田一京助と日本語の近代』(安田敏朗著 平凡社新書 2008)を読んだ。
第1章「問題のありか」で、アイヌ語に対する金田一の植民地思想的な認識、アイヌに対する偏見と収奪、また啄木の思想的転回を例に思い込みの強さなどを挙げていて、かなりうわっとなる。アイヌの問題については第2章がメインで、3,4章は金田一の言語観と歴史・社会認識を読み解くことで、5,6章の戦後の国語審議会における金田一の認識を論じている。

アイヌに関しては本当に、金田一京助の研究は、植民地主義のような社会的背景を抜きにできないということがわかる。(口承文芸を筆録としてのみ切り出して、場や語り手のしぐさを切り捨てたこと、そもそもアイヌ語にのみ関心を向けたことなどが指摘されている。知里真志保のことをもっと知りたい)

国語の表記で言えば、助詞「は」「へ」「を」が「わ」「え」「お」にならない点は、たしか自分は高校の授業で「さすがにそれはやりすぎと思ったから」と先生に教わった気がする。この本を読むと本当に何の説明もなく、ただどこかで妥協しなくてはいけないということで決めたようだった(どこかで整理しなければいけないことであったとは思うけれど)。
福田恒存との不毛な論争(1955-56年)の紹介では、相手が若いことに気づいた金田一が急に?高圧的になったことに関して、著者が「金田一の権威と年齢を楯とした、いやらしさ全開の文章である(こういうのを一度書いてみたいものである)」(p214)とコメントしていて面白い。本当にありえないくらい失礼な文章ではある。

共同語と、そこからさらに知識人の良識によって打ち立てられる規範的な標準語の話。蝿の「ハエ」「ハイ」に関するツッコミも楽しい。
著者自身は、良識…学者の善導によって規定される日本語に対して批判的で、だからそういう国語審議会の仕組みを作った金田一に対しても「(著者自身が)多少手慣れた分野である「近代日本言語史」のなかに置いてみると、そこでは「偉い」というより「エラそう」だ、ということだけははっきりしてきたように思う」(p269)とあとがきで述べている。

正直言って、もっと全体が金田一京助アイヌの話なのかと手に取ったので、この著者の専門分野の話は違うんだなあと感じないではなかったけど、興味深かったし勉強になった。研究成果をわかりやすく(わからないところはあったけど)書いて、新書の面目躍如という感じがした。あと、この方面白いな…と思った。
あとがきの初めて買った全集は折口信夫という話や、買った全集全部読んでない話も好きだ…私は全部読めないだろうから全集なんて買えないな、と思ってたので目が覚める思いだった。

ところで自分はこの2年半ほどゴールデンカムイにはまっている。映画も早速見に行ってなかなか満足度が高かったのだけど、原作者野田サトル氏のインタビュー(『ゴールデンカムイ』野田サトル、実写化に歓喜したキャラとは 完結を迎えた現在の思い【原作者インタビュー】|シネマトゥデイ)が旧ツイッターで少々話題になっているのを見て、ああそういえばこういうところは好きになれないんだったな…と思い出していた。「適材適所」のところと、あと「嫌いといっているアイヌはいない」のところ。作者に内輪で言う分にはまあいいと思うが、それを作者が、対外的に、インタビューで言ってしまうのか、と。
それで、『金田一京助と日本語の近代』で、有名なアイヌ研究家の死に関して萱野茂が「アイヌの人々のあいだから、一つとして悲しみの声は聞かれなかったよ」と書いている(「悲しまれないアイヌ学者の死」1972年)こと、それについて金田一京助を指すのではないかと推測している研究者がいる(斉藤力「金田一京助アイヌ 」『朝鮮研究 』112号 1972年 ※国会図書館デジタルコレクション送信サービスで読めます)ということを紹介していたのを連想した。その研究者の死が悲しまれなかったのは、自分の研究のために当事者を踏み台にして収奪した側面からであるらしい。
ゴールデンカムイは基本的にアイヌの文化を尊重して、監修の人もしっかりしていて敬意をもって書かれていると私は感じているけど、どうしても、物語の最後の最後の博物館関連の部分がずれてないか?と思ってしまうし、鶴見が言ったことややろうとしたことが特にフォローされずに済んだことも大丈夫なのか…という気持ちがある。
「原作を信じてください」とか、そりゃ作者は自信を持ってるのだろうけど、作者の発言がどれだけファン、信者的なファンにハレーションするのかっていうのはもっと考えた方がいいんじゃないかなと思った。

そんな感じで2024年もよろしくお願いします。ツイッターとBlueSkyとブログと読書メーターの間で迷子になってるけど、どこかで本やらなにやらの話をしていきたい。