サントリー美術館「酒呑童子ビギンズ」

サントリー美術館は1年に1回か2回、見たい展示をやってくれる。絵巻物の展示が好きなのと、テーマ展示が気になる。今年でいうと次回の「まだまだざわつく日本美術」展も気になっている。ただ、この調子だと年間パスポートがペイするかが覚束ないのでいつも憧れながらも入会せずにいる。

 

サントリー美術館「酒呑童子ビギンズ」

サン美所蔵の酒呑童子絵巻は以降の同テーマの作品に影響を与えた「図様のはじまり」だ!という展示。絵巻は能の演出にも影響し、一方後世の絵巻も能の演出の影響を受けていた?といった視点で作品が紹介されていた。ほかに、酒呑童子出生エピソードが追加された絵巻の紹介も。

絵巻は最低限のキャプションがついているから、絵を見ていくだけで内容がわかって面白かった。
キャプションだと謎の3人が登場したかのようだけど、絵の中には登場時から住吉・八幡・熊野と書いてある。住吉が僧の姿。熊野も山伏っぽく見えた。最初状況を読み飛ばしたけれどきちんと見るとその前にチームが二人ずつ住吉と石清水と熊野に詣でている。
頼光は宴席で出された新鮮な人間の足を断らず切りとって食べるし(宴席を破綻させたくなかったのかしら)、後からさっきの肴は3年前にさらわれた中務の娘と説明されているのなかなかえぐい。男の肉はかたくておいしい的なことを言われていて、あまり聞かないパターンだなと思った。
宴席で鬼や頼光の仲間が踊る場面があるのだけど、意味のある内容を即興で謡いながら踊ってるんだな、というのがキャプションで分かってよかった。
鬼を縛るところでトワウォを思い出してしまった。

どうでもいいけどキャプションで江戸時代の資料を説明する際に「サントリー本のことが書かれている」といった表現がされており、適切ではあるものの当然江戸時代の資料本体には「サントリー本」という表記そのものはないのでちょっと面白かった。

別の絵巻で追加された前半生のエピソードもやや物悲しく。ヤマタノオロチの血を引いて、幼少期から酒飲んで暴れる系の童子が、比叡山にやられるんだけど、踊りのために大量の鬼の面を作り踊りを成功させて褒美にもらった酒を飲んだことで暴れてしまって放逐される…といった内容。

会場で、能「大江山」のダイジェスト版を流していた。

youtu.be

多分実際に舞台を見たら違うのだろうけれど、ダイジェストで見るとシテよりワキのほうが活躍しているな…と感じてしまった。

アイが山本家の方でふふふ、となった。「あの女性なんか知ってる気がするなあ声かけてみよ!」の部分でダイジェストが切れて、このカットされた部分が面白いやつだったりしない?と思った(どうしてもちょっと茂山の濯ぎ川的なものを連想してしまう)。『謡曲大観』見ると脇カプみたいになってる…アイなのに(?)。

「足元はよろよろと」のところで急に「これ聞いたことあるな?」と思ったけれども、誰かが個人的にネタにしてたのか、どこかの狂言で引用されているのかがわからない。

首を落とす場面、映像ではすっかり消えているシテの人はどうなったんだろう?と気になってしまった。『謡曲大観』では「シテ死したる態にて切戸より入り」とのことだった。

佐成謙太郎 著『謡曲大観』第1巻,明治書院,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション 

dl.ndl.go.jp

 

ガザの住人から寄付を願うリプライを貰う

昨年8月に最後に記事を書いて以来、止まっているななんとかせねばなと思ったまま、2025年に入りもう6月になった。いつも使っているSNSには少し書きづらく感じたので、ここに書く。

昨日SNSで突然、ガザ在住で支援を求めるアカウントからフォローされ、英文のリプライをもらった。初めてのことだった。

With utmost respect, I kindly appeal for support during a challenging time. Even a contribution as small as $1 could help me manage through the day. Please refer to the pinned post for more information.

女性のアイコンと人名で、アカウントを見ると、次々に色々なアカウントに何種類かの文面で寄付を願い出るリプライを送っていた。固定リンクは同名の別のアカウントの引用で、ドネーションサイトへのリンクがあった。
寄付のページには、結婚を機に夫婦で新居のアパートを購入した二人が、ガザ攻撃ののち、職を失い、新居を失い、避難したということが書かれていた。アパートの返済のためと、生活費のために寄付を募っているということだった。主催者は夫婦の夫の名義だった。

SNSに戻って見ると、同じ人物のアイコンで同じ名義のアカウントが多数あって、そのそれぞれが様々なアカウントに寄付を求めている。スパム判定されているアカウントもあった。
なにしろ手法がいわゆるスパムと変わらない。
けれども、好き好んでこんな方法を取っているわけではないだろうということだけは想像できた。ガザは人為的に食料も電気も制限され、産業も開発も封じられた状態で、支援物資は届かず、けれども封鎖の外には食料や物資があり仕事もあり、他に何もできる手段がなかったら可能な限り時間を割いて、自分の持っている端末で外部とやり取りして助けを求めるだろうと思った。

内容の真偽についても私にははっきりとはわからないが、見ていたらLinktreeがあって、その女性のtumblerやFacebook、Instagramのアカウントが見られた。インスタでは数年前までの大学の卒業や、職場の様子が載っていて、寄付の行き先が真実この人なのかは正直言って確認のしようがないけれども、確かに向こう側にこの人の暮らしがあるんだなということを考えてしまった。

Linktree"Farah Social Media" 件のアカウントのLinktree。ちなみに私は支払い方法で躓いて寄付はしていない。

OLIVE JOURNAL市民がつくるパレスチナ情報サイト「私たちができるパレスチナ連帯アクション」 政府等への意見の送付先を改めて探していて見つけた。チェック済みの寄付先についても記載がある。

「ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家」展とウイルタ刺繍体験

6月に、高島屋史料館TOKYO「ジャッカ・ドフニ 大切なものを収める家」展関連イベントのウイルタの刺繍のワークショップに参加した。
「ジャッカ・ドフニ」というのは、北海道の網走にかつてあった資料館の名前で、サハリンの少数民族ウイルタの言葉で「大切なものを収める家」という意味。
会場内は撮影禁止だけれども外に夏と冬のウイルタ住居模型が置いてあった。作者は世界の台所の模型の宮崎玲子さんだった。

会場外に置かれていたウイルタ住居模型


ワークショップの講師は網走からいらっしゃったウィルタ刺繍サークル「フレップ会」の方々。戦後網走に「引き揚げ」てきたサハリン出身のウイルタである北川アイ子さんから学んだウイルタの刺繍を伝えているサークルとのことです。

自分は刺繍は初めてで何もかも心許なかったのだけど、わからなくなるたびに丁寧に教えていただき、真似ながら進めることができた。時間内には終わらないため残りは家で…と思ったら細かいところの処理がわからなくて難しかった。教えてくれる人がいるってありがたい。
本当に素人でそもそも刺繍の基礎知識がなく、メインになる特徴的な縫い方がどれだけ特徴的なのかも全然わかっていなかった。チェーンステッチとかブランケットステッチとかは、家で調べながら初めて刺繍した。

ウイルタ刺繍の財布とチャーム

2か月も経って完成にこぎつけた。細かく見ると色々しくじってるけど…仕上がってうれしい。(チャームはおみやげとしていただいたフレップ会の方々の作品です。出来が違う!)

ウイルタ刺繍の財布の蓋をめくった内側とチャームの反対側

展示にも同じ形の財布が出ていた。ふたの部分は2枚の布が重なっており、内側の布に穴がくりぬかれていて、ここから硬貨を入れると教えてもらった。
元々は革などに縫っていたそうで、厚い生地だから、裏地に糸を出さずにきれいに縫うことができるらしい。私はところどころ裏地に糸が出てしまった。

久しぶりに針を使って、自由にやると自分は針を左で持つなあ、ということを再認識した。その場合、進行は左から右のほうが理にかなっている筈なんだけど、刺繍は一針ずつ慎重にやりがちなのであまり意識しなかった。糸がかかってるかかかってないか、なかなか理解できずに考え込んでいたため。途中でやりづらいな…と感じたとき実はベストポジションではなかったのだと思う。(今更ブランケットステッチ左利き用の動画を見てこうすればよかったんだ!と感激している)
ウイルタの人は針を自分の方に向けて縫っていくという話を聞いたので、完全まっさらな初心者なら逆にそれで始められるのでは…と一瞬考えたけれども、全然余裕がなかった。

展示にも、革などで作られた伝統的な衣服や楽器、樹皮で作った日用品などが並んでいて、生活道具の美しさみたいなものを感じた。往年のジャッカ・ドフニでは触ることができる形で展示してあったとのこと。
一方で、展示を見たり図録を読んでいてとても感じたのは、ジャッカ・ドフニが政治的な場所でもあったんだなということだった。サハリンに生まれ育ったウイルタの人たちは、日本とロシアの間の国境の問題に人生を左右されてしまった。「引揚」と書いたけれども、北川アイ子さんは元々サハリンのウイルタだ。でも、彼女が生まれたころには日本の教育を受けるようになっていて、名前もアイ子さんという日本語の名前を付けられている(お兄さんはゲンダーヌさんという名前)。そうして日本人として生きることを求められてきたのに、敗戦の際には日本人ではないという理由で、サハリンを脱出する日本人に置いて行かれる。兄のゲンダーヌさんは日本軍に招集されて戦い、シベリアに抑留されるが、少数民族に日本国籍がなく兵役義務もなかったため恩給の対象にならない。そういう状況に対する抗議や運動を行っていたということが分かった。
ゲンダーヌさんとアイ子さんはウイルタであるということを公表して生きたけれども、日本に引き揚げてきた他の方(アイ子さん達のご家族を含めて)は出自をあまり明らかにしなかったようで、今の私が実感できない困難があったのだと思う。
そういう状況の中で、アイ子さんがご家族から教わった(樺太にいたころアイ子さん自身は刺繍をできず、北海道に来てからお姉さんに教わったそうだ)刺繍を地元の人たちに伝えて、その刺繍を私がほんの少しでも教えていただくことができたというのは、細い細い繋がりではあるけれど大切にしたい。
講師として教えてくださったフレップ会の皆様、企画をしてくださった学芸員さん、一緒のテーブルにいた参加者の方々、ありがとございました。

この後も何か刺繍してみたいなと思うのだけれども、何を作ったらいいのかな。お財布にもう1回チャレンジしてもいいけど、何か別のもの、できれば自分の生活にあるとよいものを作ってみたい気もする。フェルトで作れて使えるものってなんだろう…ブックカバーとか…?
ワークショップでいただいた桃のような形のイルガと、リーフレットに付いていた仕上がりが四角くなるイルガとがある。後者は複雑そうだしもうちょっと練習してからかなあ。切り紙で形を切るだけでも楽しそう。

都現美「翻訳できない わたしの言葉」

週末に滑り込みで都現美「翻訳できない わたしの言葉」 見てきた。

アイヌや韓国にルーツを持ち、日本語を第一言語に育ったアーティスト、音声日本語を母語として育ち、日本手話を第一言語として生きているアーティスト、重度障害等で言葉や身体表現の難しい人の体の声を聞くワークショップを実践してきた中で自身もALSの診断を受けたアーティスト、滋賀県のブラジル人学校のインスタレーション等々。
映像作品が多いのに私が入った時間が遅かったために(3時近く)やや時間が足りなかったけど、主に日本の中の身近にも、こんなに多様な言葉があるという展示だった。私にはアートというより、知りに行った、という感じがあった。ちょうど『アイヌもやもや』を一読したところだったので、言語権!と思いました。

都現美も都の施設なので、今後の都が多様な声を受け入れる場所であってほしい。

展示スペースにいるアーティスト本人もいて、そこで来館者がコミュニケーションを取ったりしていた。私はそのやり取りを見ていて直接やり取りする勇気がなかったけれども、アーティストが心身ともに安全にその場にいられるようにするには信頼関係と努力が必要だな、と感じた。

聴覚過敏への対応や、フィジェットトイ(初めて見た)の貸出、カームダウンスペースもあった。

入口の掲示。聴覚過敏の方のための耳栓と、クールダウンのためのフィジェットトイの貸出を知らせている

一角に設けられたカームダウンスペース

新井英夫さんのスペースで配布されていた和紙を揉んでやわらかくする体験、一枚持って展示を見ながら心地よく揉んでいたら指先が切れたみたいでちょっと血がついてしまった(常に指先が荒れてて切れやすいので根本的に紙を触るのに向いてない)。揉んだ紙も汚してしまった紙も元には戻らなくて、それが自分のものなんだなと思った。でもやわらかくなった和紙の手触りは素敵。

ぐるっとパス2024の成果

今年も前半が終わろうとしている…! 4月から6月にかけてぐるっとパスを使ったので簡単な記録。

■八王子夢美術館

「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」※入場
作品をたくさん見られてよかった。絶筆は平泉金色堂の冬景色を描いた作品なのですが、バージョン違いというか、元にしているのが同じ構図の同じ場所の夏の夜を描いた作品で、そちらも素敵だった。夜空にひとつ目立つ星があるの。
冬の作品(絶筆)【アートの扉】川瀬巴水「平泉金色堂」人生の旅路、踏みしめ - アートの森
夏の作品(元の作品)川瀬巴水 日本風景集 東日本篇 平泉中尊寺金色堂 昭和十年 (Primary Title) – (2011.445) – Collections

生前のスティーブ・ジョブズが巴水の作品を愛好していたということで、なぜか「ジョブズが持っていた作品(と同一の収蔵品)」のコーナーがあったのだけど、近くの土地の風景を描いた作品があったので、ジョブズと話すとき(?)には「あの作品の地元です」と説明すれば通じちゃうんだなと思った(??)。

■静嘉堂文庫美術館

「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」※割引
行きたかったやつです。
個人的な見どころはやはり「武四郎涅槃図」。武四郎の持ってたコレクションが描きこまれて(暁斎が度々注文付けられて)いるのだけど、涅槃図そのものだけでなく実物も展示されていた。
いくらか予習していったのでこれが例の傘! 例の凝革紙製刻み煙草入れ!となった。大首飾りがいくらなんでも大きすぎて、あんなのをかけて写真撮ってもらうご本人もだいぶ愉快。静嘉堂がこれでポストカードが出してるのもかなり愉快。図録も凝ってて素敵です。
武四郎記念館行きたいなあ、の思いを新たにした。一畳敷が見たいのだ…。

河鍋暁斎「地獄極楽めぐり図」も全面を見たいな、と思った。十代で亡くなってしまった少女の追善のために作った絵で、展示室に置かれていた印刷版(『とことん鑑賞 地獄極楽めぐり図』原寸の80%縮小複製)でちょっと見たら最初に亡くなってしまった場面のすぐ後に仏さまが迎えに来る場面があり、来迎!と思いました。暁斎を「きょうさい」と読むのも、『がいなもん』読んで初めて知った。こんなことから河鍋暁斎に興味を持つことになるとは思わなかったし、暁斎と武四郎それぞれの写真を並べた紙面が強すぎる。

静嘉堂文庫美術館は初めて行ったけど、曜変天目茶碗とミュージアムグッズの曜変天目ぬいぐるみのあるあそこだった。

■目黒区美術館

「青山悟 刺繍少年フォーエバー」 ※入場
大学でテキスタイルアートを学んだ作家が、ミシンによる刺繍での創作を選ぶというのが面白いなと思った。いやテキスタイルアートで何が主流なのかはわかってないけど…刺繍は元々、女性の手仕事的なものとして受け止められてきた(手芸とアートの話は去年読んでた!)。それを男性作家が、ミシンでやっている。
とはいっても動画で流れている製作風景は地道な作業だった。対比として流れる、コンピューターミシンがウイリアム・モリス(作者の意識はこの辺と繋がっているみたい)の手紙の文面を自動で刺繍していく様(この記事にあるやつ)との対比などを見せられて、機械を使っているけど人間の仕事だな、という風に私は思った。
空の作品がきれいだったな。手仕事ではなかなか行いがたい。

青山悟「東京の朝」(部分)

ウィリアム・モリス『民衆の芸術』(岩波文庫)の刺繍

「8HOURS LABOUR 8HOURS RESERACH 8HOURS REST」(ロバート・オーウェンの言葉)の刺繍


■文化学園服飾博物館

「オモシロイフク大図鑑」 ※入場

世界の民族衣装のコレクションから「ながい」「おおきい」「まるい」「たかい」のキーワードに合ったものを展示。韓国の木靴(ナマクシン)が小さな生き物みたいでかわいかった。松島きよえ(清江)という方のスケッチが展示されていてよかった。アジアを旅して民族衣装のコレクションをしたり写真を撮ったりしていた方。
館内撮影禁止だし展示リストも多分ないので感想が書きづらいな…でもコレクションからテーマに合ったものを引き出してきていてすごいと思う。

■WHAT MUSEUM

「感覚する構造 法隆寺から宇宙まで」※入場

パスだけで入場できてまだ見たことのないミュージアムに行ってみよう、と思って選んだ。倉庫業者の寺田倉庫建築関係の展示。法隆寺に始まり、投入堂やさざえ堂の模型があって面白かったけれど、近代建築については、ふーーむという感じで難しかった。構造家という人たちが考案して計算して作っているということを知った。
称名寺の鐘撞堂は、5分の1模型が出ていて面白かった。
関西万博の大屋根も出ていた。

投入堂の模型

さざえ堂の模型


■練馬区立美術館

「三島喜美代 未来への記憶」 ※入場

ほとんど何も知らずに見に行ったけれども面白かった。元々は絵の人で、陶芸は見様見真似で初めて、情報をテーマに陶器の「割れる新聞紙」を製作したり、関心がごみに移っていく。社会的なテーマではありつつも、作者本人にとって「面白い」がすごい大きな動機になっていて、楽しそう。会場でインタビュー動画が、10年以上前のと最近のと2本流れていたけど、どちらも大阪の人って感じがあってよかった。
ご高齢とはいってもまだまだ色々なことをやりたいとお元気そうな映像であったので、見に行った後に訃報を聞いて残念に思います。パブリックアートとして各地に(東京にも)作品があるらしく、見に行ってみたい。
ところで三島さんのWikipedia記事は今のところ英語版にしかない。

陶製の「サンキス」ボックス(サンキストではない)

空き缶(陶製)が詰まった屑籠



ちょっと思ったより全然回れなかったな…という反省があるけど、企画展の具合によっては今後もまたぐるっとパス巡りするかもしれない。

板橋区立美術館「シュルレアリスムと日本」と板橋区立郷土資料館

前の記事から2カ月以上あいている…! あれ書いてこれ書いてということはあるのだけど、とりあえずBlueSkyに投稿したりしていました。

板橋区立美術館「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」を見てきた。
戦争に向かう近代日本の中でどんなふうに存在していたのかが少し分かったような気もするが、作家や作品自体についてももっと知りたかったかなあ、と思う。たぶんコンテキストがわかったほうがいい。わからん!となってしまったので。

ざっくりと気になった作品と、画像が載ったページが見つかったものはURLを貼っておく。

阿部金剛「Rien No.1」(1929)
fukuoka-kenbi.jp
シュルレアリスムの画家というよりは先駆者として紹介されていた。
空に浮かぶなんだかよくわからない物体と、断ち切られたビルなど。
リンク先の記事は結構面白かった。私は雲かな、動くの速いのかなと思って見ていた。

吉加江京司(清) 「葉(葉脈の構成)」(1939)
www.momat.go.jp
なんか好きだな。

石田順治「作品2」(1939)
岩場みたいな風景で、朱色のような、緑のような、色の加減がとても素敵だった。全然画像が見つけられなかった。

平井輝七「風」(1938)
collection.topmuseum.jp
カーテンらしきもののはためきから感じられる風と、奥にある扉(壁はない)と、それら全部の後ろにある空の具合が素敵。人間の頭の形?のオブジェはよくわからない。

堀田操「断章」(1953)
断章 / 水木しげる元ねたコレクション
なぜか「水木しげる元ねたコレクション」なるページで紹介されていた。水木しげる作品で引用されていたらしい。
荒れた前景と、遠くに見えるデパートのアドバルーンみたいなもの。それでも地面の隙間から出てきているのは植物の芽?

その後、隣にある板橋区立郷土資料館に寄った。入場無料だけど常設展で板橋の歴史がコンパクトに紹介されている。
今回は「いたばしの文人たち」というコレクション展をやっていて、全然知らない人だけど相沢朮という人の和歌の一つがちょっといいなと思った。
「ゆくりなくうれしきものはほとゝきす 人伝ならぬはつねなりけり」

歌「初聞時鳥」(相沢朮)

あと、新収蔵資料として「なりもす駅」駅名標が展示されていた。東武東上線成増駅が、2022年3月のモスバーガー創業50周年記念でモスバーガーとコラボした際のもの。モスの一号店は成増にあったのだそうです。

なりもす駅の駅名標

資料館の中庭みたいなところに旧田中家住宅が移築されていて、民具等々が所せましと置いてある。石臼を回したりしながら家の中を通り抜けて奥に進んでいくと、石仏みたいなものが並んでいて、その横にニリンソウのエリアがあるのも以前行った時と同じだった。赤塚はニリンソウの自生地だとのこと。
区の花ニリンソウ|板橋区公式ホームページ

ニリンソウ

…とそういう風に見ていて、外がいやにうるさいな動物のまねをしている中高生でもいるのかな、と外を見たら、道の向こうの家の塀からヤギが顔を出していて、全部持って行かれてしまった。顔を出してはめえめえ結構な大声で鳴いて、塀に絡んでいる植物の葉を齧っていた。

道路の向こうの塀から顔を出すヤギ

帰りに塀の前の道路まで近づいてみたら、塀の穴になってるところから顔を出してこっちを見ようとしてきた。わあーと思いながら見ていたら口をブッてされた。特にちょっかいを出したりはしていないけど、いるだけで嫌がられたかもしれない。

道路にいるこちらを見下ろすヤギ

行きは西高島平駅から歩き、帰りは下赤塚駅まで歩いた。西高島平側は高架沿いで面白くないけど、下赤塚方面は住宅地で、石仏があったり滝があったりして楽しいな。赤塚駅近くのモスバーガーで食事をして帰ってきました。

『金田一京助と日本語の近代』アイヌ研究とか規範的国語とか

昨年は9月からロングラン上映していた映画「福田村事件」を12月にやっと見に行ったのでそのことを書くつもりだったのですが、どうにもだめそうなので下書きに置いていた本の感想を上げていきます。

大晦日から元日にかけて、『金田一京助と日本語の近代』(安田敏朗著 平凡社新書 2008)を読んだ。
第1章「問題のありか」で、アイヌ語に対する金田一の植民地思想的な認識、アイヌに対する偏見と収奪、また啄木の思想的転回を例に思い込みの強さなどを挙げていて、かなりうわっとなる。アイヌの問題については第2章がメインで、3,4章は金田一の言語観と歴史・社会認識を読み解くことで、5,6章の戦後の国語審議会における金田一の認識を論じている。

アイヌに関しては本当に、金田一京助の研究は、植民地主義のような社会的背景を抜きにできないということがわかる。(口承文芸を筆録としてのみ切り出して、場や語り手のしぐさを切り捨てたこと、そもそもアイヌ語にのみ関心を向けたことなどが指摘されている。知里真志保のことをもっと知りたい)

国語の表記で言えば、助詞「は」「へ」「を」が「わ」「え」「お」にならない点は、たしか自分は高校の授業で「さすがにそれはやりすぎと思ったから」と先生に教わった気がする。この本を読むと本当に何の説明もなく、ただどこかで妥協しなくてはいけないということで決めたようだった(どこかで整理しなければいけないことであったとは思うけれど)。
福田恒存との不毛な論争(1955-56年)の紹介では、相手が若いことに気づいた金田一が急に?高圧的になったことに関して、著者が「金田一の権威と年齢を楯とした、いやらしさ全開の文章である(こういうのを一度書いてみたいものである)」(p214)とコメントしていて面白い。本当にありえないくらい失礼な文章ではある。

共同語と、そこからさらに知識人の良識によって打ち立てられる規範的な標準語の話。蝿の「ハエ」「ハイ」に関するツッコミも楽しい。
著者自身は、良識…学者の善導によって規定される日本語に対して批判的で、だからそういう国語審議会の仕組みを作った金田一に対しても「(著者自身が)多少手慣れた分野である「近代日本言語史」のなかに置いてみると、そこでは「偉い」というより「エラそう」だ、ということだけははっきりしてきたように思う」(p269)とあとがきで述べている。

正直言って、もっと全体が金田一京助とアイヌの話なのかと手に取ったので、この著者の専門分野の話は違うんだなあと感じないではなかったけど、興味深かったし勉強になった。研究成果をわかりやすく(わからないところはあったけど)書いて、新書の面目躍如という感じがした。あと、この方面白いな…と思った。
あとがきの初めて買った全集は折口信夫という話や、買った全集全部読んでない話も好きだ…私は全部読めないだろうから全集なんて買えないな、と思ってたので目が覚める思いだった。

ところで自分はこの2年半ほどゴールデンカムイにはまっている。映画も早速見に行ってなかなか満足度が高かったのだけど、原作者野田サトル氏のインタビュー(『ゴールデンカムイ』野田サトル、実写化に歓喜したキャラとは 完結を迎えた現在の思い【原作者インタビュー】|シネマトゥデイ)が旧ツイッターで少々話題になっているのを見て、ああそういえばこういうところは好きになれないんだったな…と思い出していた。「適材適所」のところと、あと「嫌いといっているアイヌはいない」のところ。作者に内輪で言う分にはまあいいと思うが、それを作者が、対外的に、インタビューで言ってしまうのか、と。
それで、『金田一京助と日本語の近代』で、有名なアイヌ研究家の死に関して萱野茂が「アイヌの人々のあいだから、一つとして悲しみの声は聞かれなかったよ」と書いている(「悲しまれないアイヌ学者の死」1972年)こと、それについて金田一京助を指すのではないかと推測している研究者がいる(斉藤力「金田一京助とアイヌ 」『朝鮮研究 』112号 1972年 ※国会図書館デジタルコレクション送信サービスで読めます)ということを紹介していたのを連想した。その研究者の死が悲しまれなかったのは、自分の研究のために当事者を踏み台にして収奪した側面からであるらしい。
ゴールデンカムイは基本的にアイヌの文化を尊重して、監修の人もしっかりしていて敬意をもって書かれていると私は感じているけど、どうしても、物語の最後の最後の博物館関連の部分がずれてないか?と思ってしまうし、鶴見が言ったことややろうとしたことが特にフォローされずに済んだことも大丈夫なのか…という気持ちがある。
「原作を信じてください」とか、そりゃ作者は自信を持ってるのだろうけど、作者の発言がどれだけファン、信者的なファンにハレーションするのかっていうのはもっと考えた方がいいんじゃないかなと思った。

そんな感じで2024年もよろしくお願いします。ツイッターとBlueSkyとブログと読書メーターの間で迷子になってるけど、どこかで本やらなにやらの話をしていきたい。