「聖地には蜘蛛が巣を張る」(ネタバレ)

「聖地には蜘蛛が巣を張る」を見た。
予告編も見ないまま、連続殺人事件の話らしいと内容うっすら把握程度の前知識で見に行ったところ、予想以上にショッキングな映画だった。イランでのセックスワーカーをターゲットにした連続殺人事件の話。実話をもとにしているフィクション。殺人の描写も、示される内容も想定よりもきつかった。


16人の連続殺人は全て絞殺によるもので、物語中実際に殺害する場面があるのは数人。結構しっかりと被害者たちが苦悶する様子を映している。終盤の場面との対比になっているだろうというのはわかるけど、そこまで映す必要ある?(ただし読んだ記事によると、イランの検閲上、先行作品では女性への激しい暴力は表現できなかったらしく、それを考えると意味はあるのかな?)逆に性的な描写はあまりなく、かなり慎重にぼかしが入っているのはなぜ?と思った。あの場面は足の裏が怖かったですね。

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前半はそういうスリリングな、好きな人は好きだと思うのだが私は苦手…というしんどさなのだが、後の方の犯人逮捕後はまた別の怖さがある。

(ネタバレです)
裁判で犯人は被害者がセックスワーカーであったことから街の浄化のためだと殺害を正当化し、彼の家族や周囲の人々はそれを支持する。裁判所の前では支持者たちが彼の無実を訴える。それでも死刑判決が下るが、その後彼の独房に友人の有力者と裁判官(?)がやってくるシーンがある。裁判は厳しくやらざるを得なかったが、実際には執行の際に逃れることができるというような約束をする。
…正直ここがあまりにも唐突で、この直後に犯人が茫然と突っ立ってるようなシーンがあったので、これは犯人の自分に都合の良い幻覚では?と疑いながら見ていた。終盤で犯人は結局死刑になって、やっぱり駄目だったじゃん!と。だってあまりにも意味が分からないから。(でも鞭打ちは説明付かなったけど)
でも、人のレビューを見ていると、本当に関係者たちがそう言いにきたと読み取られている人が多くて、それが正解なのかもしれないと気づいて、なんで?!と思った。
あの場面、犯人が「自分で自分を悪くないと考えていた」ことの表現だと思いながら見ていたので、こういう悔悟のない人への刑罰…という暗澹たる気持ちになっていた。だけど、そうではないとしたら。本当に周囲の人間が「あなたは悪くない大した罪ではない」と言いに来ていたんだとしたら。最悪だ。

建前や制度として「連続殺人は悪い・罪である」ということはあの社会の中でもさすがに動かせない。けれども心理的には彼に同情的な人、彼は悪くないという人がたくさんいる。訪ねてきた裁判官たちがどんなつもりでそんなことを告げたのかはわからない。助けるというのは結果的に嘘だった。でも、作中の社会全体に、そういう建前と本音が絡まりあっているような気がして、怖い。
犯人の妻や息子たちも、犯人がちょっと様子がおかしいということは気付いていた。それでも、取材に対して犯人を正当化する発言をする。これも結構温度差があるように感じた。
多分妻は家族という立場上、夫を正当化するしかないんだろう。裁判所の前で「どうして私たちがこんな目に」「私たちが一番つらい」みたいな、そんなことを言っていた。一歩間違えばこの人も経済的に困窮して、セックスワークに従事せざるを得ないかもしれない。支援者たちの援助があるからその心配はないが、そうなると彼女は夫の味方をしてくれる支援者たちに同調せざるを得ない。いやほんとに自分の意志で夫を正当化する側面もあるだろうけど、少なくとも他の選択肢がない。
それに比べると息子はもっと積極的に見えた。直々に父から話を聞いているのだし、支援者(当然表に出てくるのは大部分が男だ)たちからもあたたかく励まされている。
息子が父の行動を再現する場面を見て、私が連想したのは「アクトオブキリング」だった。あれは殺人者たちが過去の大量殺人を再演していくドキュメンタリー映画で、そこで何かが起きるといった構成なのだが(なんかいい話っぽくまとめてしまったが基本的には悍ましい内容である)、息子である彼にとってあの時点であの再現は誇らしいことなんだろうなあ。罪悪感とかは少なくとも全然表に出てこない。学校でいろいろ言われるなどして葛藤もあるだろうけど、励ましてくれる味方が大勢いる。だったら父親を正当化する流れになるよなあ。これは彼一人の責任ではなくて、彼の育つ社会がそうなっている。

イランの社会通念などで理解できていないところはたくさんあったけれど、どことなく私たちの身近にもある話で、よその国がこわいでは済まない内容だと思う。
それにしても、感想殴り書きする中で「あれはなんだったんだ?」という場面があったけど、もう一度見る機会があっても見たくないなあ。